昨日に引き続き、ふと思い出した記事のご紹介です。
IBMの村上さんの記事。2016年の記事なので、もう3年も経ちますが。
「自分はいつもマイノリティとして生きてきた」
そのことが今の社会では、決して不利にはならない。企業という組織が、ダイバーシティを追求しているからだ。 ダイバーシティには、生得的な性差(ジェンダー)、人種、民族、後天的な宗教、学歴、婚姻状況、そしてLGBTといった性的少数者も含む。 こうしたダイバーシティを重視することは、企業にとっては決して美辞麗句ではなく、多様性を受け入れるということが組織や集団にとっての生存戦略だからだ。そして、個人もまた多様性を受け入れ、自分自身のマイノリティであることを重視する方が「うまくいく」のだと村上さんは言う。
とても納得する記事です。
私自身が村上さんを好きなのもありますが、
元気が出る記事なので、
ふと思い出したときに何度も読み返してしまいます。
「みんな違って、みんないい」というっていうのは、マイノリティであることを経験した人が、一緒になってマジョリティになることではなくて、何か困難なことも、あるいは何かすてきなことも、すべて違うその人の経験なんだよ、ということだと思います。それを認められる世界っていうのが、いいっていうことなんじゃないかな、というふうに思っています。
私自身が働く業界でも女性は性別的にマイノリティなので、
最近は女性であることが重宝されたりもします。
学会の委員なども
「男女のバランスを取りたい」
と裏の理由を素直に言われて依頼されたりもします・笑
就職した頃は
「女性はすぐに辞めるからとりたくない」
などと言われたりもしたので、
それに比べると、女性を認める最近の流れはすごい変化だと感じます。
でも、私の子どもたちが大きくなるころには、もう一歩進んで、
マイノリティとかマジョリティとかそういう概念もなくなって、
「みんな違って、みんないい」
という世の中になるといいですね。
性別に限らず、個人の傾向はさまざまですから、
個人個人の多様性が認めていける世の中になっていけるといいな
と思います。
社会はみんなで作って行くものなので、
「みんな違って、みんないい」という世の中を創りたい
みんながそう望んでいればきっとそうなると信じています。