東京大学学部入学式の祝辞について想うこと

昨日、大学の入試について書いていた時に、大学の名前を挙げていてふと思い出した記事です。

 

今年の東京大学の学部入学式での祝辞。ずいぶん話題になっていました。

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祝辞にはふさわしくないとかいう意見もありましたが、私は非常にいい祝辞だったと思います。(この場で東京大学新入学生の親として話を聞いていた私の友人も「いい祝辞だった」と言っていました。その前の学長先生の祝辞もいい祝辞だったそうです。)

 

ジェンダーの話は、聞いていて不快に思う方ももしかしたらいらっしゃるかもしれません。でも、上野さんは最後の一説を本当に伝えたかったのだろうと思います。

未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。

 

その前段として、ジェンダーの話をされたのではないかと思います。

あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

 

相手は高校生ですから。知らない世界も当然たくさんありますものね。

ジェンダーの話を取り上げて、意識もしなかった世界があること、でも、知らないということですませるのではなく、これまでは知らなかった世界に飛び出ていくこと自体が「知を生み出すための知を身につけること」であること、そして、そういう知を生み出す知を身につけることこそが社会で生きていく上で重要であることを伝えたかったのだと思います。

 

「知らない世界に飛び込んでいく時間」

受験戦争の中にいる、今の小学生や中学生や高校生にはそういう時間がなかなかなくて、本当に可哀そうだなと思います。

このままでは日本が危ういとさえ思います。

とはいえ、そういう受験を乗り越えなければ開ける世界がないのもまた事実です。

 

なかなか難しいですね。