ここ数日は、社会で活躍できる子どもを育てる上で親が気を付けることについてまとめています。ここで「社会で活躍できる」というのは、「社会に出た時に自分で自分や家族が食べる分をきちんと稼いで、周囲を支えたり支えられたりしながら、自分自身が幸せだと思える」という意味です。
昨日までに
- 高校までの「答えのある勉強」と、社会に出てからの「答えのないこと」は性質が違い、勉強ができたからといって社会に出て活躍できるわけではない
- 社会に出て活躍(自分で稼いで自分でやっていく)ためには試行錯誤能力や社会性が必要である
- 勉強の成績を上げる上では、親や周りの大人が道を整えるのが手っ取り早いかもしれないが、親や周りの大人が道を整えることはむしろ試行錯誤能力を育てる機会を奪うことになる
ということを書きました。
昨日までの話はこちらです。
selfmanagementforkids.hatenablog.com
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selfmanagementforkids.hatenablog.com
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今日から2~3日は、これまでにみなさんからいただいたコメントをご紹介したいと思います。
今日は、「通りすがりのリケジョ」さんからいただいたコメントをご紹介します。
コメントを全文掲載します。ぜひ目と耳と心をしっかり開いて読んでいただければと思います。
子供を育てる上で
『トライアル・アンド・エラー』
はとても必要だと感じながら日々を過ごしています。私のいるラボはある大学の医学部のラボです。
うちのラボに来る子というのは所謂
「勉強できる子」
です。
少なくとも大学の医学部に入り、医師国家資格を取得している子達ですから。
だからと言って、皆が皆、博士課程を修了して研究の道に進むかと言うと当然そうではありません。
毎年、研究室を中退してしまう子、精神を病んで休学してしまう子が一定数います。
そういう子達の共通点は
「失敗を恐れる」
ことです。研究なんて答えがあるわけではなく、むしろ答えを自ら見つけて作っていくようなものです。
ゆえに「トライアル・アンド・エラー」を重ね多角的に物事を見て更なる「トライアル・アンド・エラー」をし
積み上げた「トライアル・アンド・エラー」の結果から答えを見つけていくのです。
ところが、失敗を恐れるあまり「トライアル・アンド・エラー」ができないんですね。「トライアル・アンド・エラー」できない原因は一つではないし、人それぞれなので一概には言えないですが
「育ってきた過程で親(特に母親)の干渉」
は要因の一つとして大きいと感じます。
我が子がかわいいあまり、失敗する機会を奪ってしまってるんですよね。
中学受験する理由に
「公立は内申書という理不尽な制度があり、それが嫌だから受験させる」
というのがありますが、これはある意味、失敗する機会を奪っていると個人的には思います。
(内申書という理不尽な制度を肯定しているわけではありません)我が家は失敗を恐れる子に育ってほしくないと思っているので
「失敗しても大丈夫!死ぬこと以外は大した失敗じゃない!」
「失敗してもいいよ。次に成功できる伸びしろが見つかっただけだから!」
と声かけしています。
(小学1年生と年長さんなので声がけの意味は分かってないと思います)
まぁ、私の場合ドンと構えすぎて物事の機微に鈍感なのが問題ですが…(汗)
通りすがりのリケジョさんは医学部だったんですね( ゚Д゚)
いつもくださるコメントが秀逸で、優秀さを隠しきれていないと感じていましたが、「医学部だったのか、なるほどねぇ」などと感心してしまいました。
そこはさておき、本題に入ります(*ノωノ)
このコメントに通りすがりのリケジョさんが書いてくださっていることは、大学生の現実です。もちろん大学に残り研究の道に進まなくても、卒業して立派に働いていけばなんの問題もないですが、中にはそのまま大学に来れなくなってしまったり、単位はとって卒業しても社会に適応できない学生さんが一定数いらっしゃいます。
その原因について、コメントの中で適切に的確に分析してくださっていると思います。
「成績さえよければ」、大学には入学できてしまいます。でもその先に待っている長い長い人生には、成績とは性質の違う能力が多く要求されます。「答えがあること」には失敗なしで一直線に向かうことも可能ですが、「答えのないこと」は試行錯誤しながら立ち向かうしかないわけですから、失敗を恐れていては第一歩が踏み出せません。
子どもの頃の失敗や経験は多い方がいいですね。何事にも挑戦して、だめだったら自分で立ち止まって、自分で考えて、自分で乗り越えて、それを自分自身の経験にしていけるといいと思います。
「失敗しても大丈夫!死ぬこと以外は大した失敗じゃない!」
「失敗してもいいよ。次に成功できる伸びしろが見つかっただけだから!」
本当に本当に、とても素敵な声掛けだと思います。
失敗を恐れていては挑戦できませんものね。大人も同じです。
失敗することで学べることがあることを知っている人は、また立ち上がることができるわけなので、本当に強いと思います。
そんな風に育つために親ができることは、何事にも挑戦できる環境や、立ち止まって考えられる時間を与えることだと思います。
「挑戦して失敗した」というのとは少し違うかもしれませんが、「つまづき」という意味では、これまでの娘の人生での一番のつまづきは学校にいけなかったことだっただろうと思います。以前のブログに書きましたが、カフェの店長さんやいろいろな大人と過ごして、立ち止まって自分を客観的に自分自身を見つめることができて、毎日学校に行けるようになりました。彼女なりに自分の人生と向き合った時間は、長い長い彼女の人生にとってとても貴重な時間だったと感じています。
selfmanagementforkids.hatenablog.com
学校を休んだ初日にカフェに誘ったのは私ですが、月火水は頑張って学校に行くと決めたのも、休んでいる時にはカフェで過ごすと決めたのも、もう毎日学校に行けそうだと決めたのも彼女です。環境づくりのお手伝いはしたけれど、彼女は自分の力で前に進んでいったと思います。
レジリエンスについて書いた時にも述べましたが、大変な想いやつらい想いを経験すると、必ず心の底から学べることがあります。逆境体験があればあるほど「あの時あれを乗り越えられたんだから、今度も大丈夫」と思えるようになってくるし、自分自身の心の器が大きくなるような感覚を持つことができます。
selfmanagementforkids.hatenablog.com
小さな失敗から大きな失敗までいろいろな失敗があるけれど、失敗すること自体が意味があり、自分自身が強くたくましくなれるとしたら、失敗は避けるどころかむしろ歓迎されてもいいぐらいのことかもしれません。「死ぬこと以外はどんな失敗だってまるっきり大したことはない」と、本当に思います。
転んだ痛さは、転んで初めてわかります。
転んだ痛さなんて、いくら上手に説明されてもわかりません。自分で豪快に転んでみればいいと思います。
転ぶことで学べることがあるのですから。逆に、転ばなかったということは学べないということなので、長い長い人生を考えた時には、そのことのリスクの方がとても大きいと思います。
失敗した時の立ち直り方も、立ち直ってみて初めてわかります。
前に進めなくなる、立ち止まるしかできないときのつらさも、前に進めない状況に置かれて初めてわかります。
昨日も書きましたが、梯子を外されたような感覚になった時に立て直すことができる学生さんもいます。人生どのタイミングからでもやり直しはできますから、本当に頑張ってと心から思います。
乗り越えるのは本人です。周りがしてあげられることは、立ち止まって考えられる時間や環境を与えることぐらいだろうと思います。もしも自分の子どもが同じ状況になったら、そっと見守ることしかできないだろうと思います。ひとりの時間が必要な時もありますものね。もしかしたら、またカフェに誘って、一緒にコーヒーを飲むことぐらいはできるかもしれません。
今日も読んでいただきありがとうございます。明日もみなさんからいただいたコメントをご紹介していきます。