【ご報告】
火曜日の朝食の時に、少し前からぐらぐらしていた息子の歯が抜けました(*‘∀‘)
息子の歯が抜けたのは初めてです。
娘とはいろいろありますが、息子を見ているとこういう小さな成長が嬉しかったものだなぁとあらためて思わされます。足元の幸せをもっと大切にしなければなりませんね。
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さて、昨日から、この6年間に学童で聞いた心に残った言葉について書いています。
selfmanagementforkids.hatenablog.com
今日は「子ども時代をしっかり生きる」について書いたいと思います。
これは、学童でもらった説明資料に書いてあった言葉です。学童の資料に書いてあった内容を、そのまま引用します。
子ども時代の思い出が大人になった時の支えになることがあります。苦手なことをがんばったこと、楽しかったことを仲間と分かち合ったことなど、それらをしっかり体験して育つことは子どもの育ちには大切です。
遊ぶことは子どもにとっては生活の要です。最大の権利です。
子どもは、子ども時代の放課後にしっかり遊ぶことでいろいろなことを学びます。
「どうやって遊んだらいいか分からない」「何をしていいかわからない」「決めてもらった方が楽」という子どもが増えています。残念ながら大人も同じです。
遊びは決して無駄なものではありません。まわりのものがすべて遊びに使えます。自由な発想力で始めた遊びが学童の人気の遊びになることもよくあります。遊びを通じて、友達と一緒に何かをする協調性も鍛えながら、自分で生きていくたくましさを育んでいきます。
娘が通っている学童は、何か特別な習いごとをするわけでもなく、何かを教えてくれるわけでもありません。ただただ日常を「昼間の兄弟」と一緒に過ごします。
先日、用事があって学童に行くと、ウッドデッキにカナヅチが散らばっているのを目にしました。(私が行ったのがちょうど夕方のおやつの時間だったので、子どもたちは遊びをいったん放置しておやつを食べに行ったところでした)
散らばったカナヅチを見ても何をして遊んでいるところなのかわからなかったので、子どもたちに聞いたら「レンガを砕いて赤土に戻しているところ」と答えてくれました。
実にくだらなくて面白そうな遊びだな、と思いました。古くなって捨てる予定だったレンガを、裏山に落ちている石の上で叩いてみたら割れて、赤土になっていったんだと思います。きっと誰かがはじめたこの遊びに、何人かが乗ってきて、この状態になったのでしょう。
こういう一見意味のなさそうに思えることにゆったりと取り組めるのは、「子ども時代ならでは」で、本当に贅沢で素晴らしい時間だと私は思います。そして、こういうゆったりとした時間は「折れることのないしなやかな心」を育む手助けにもなるだろうと思っています。
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先日のちゅみこさん(id:chumikopa)のブログに、こんな一節がありました。
小学校高学年になって、ちょうどやっと自由に自分で移動してお友達と遊びまわれるようになってきました
彼女にとっての優先順位一番はそこです
小学校低学年の時と違って、親と距離がちょっと離れての「子供たちだけの世界」
そんな時間を楽しめるようになった、貴重な、大事な年代だと思っています
その時間はこの先もう替えがきかない大切な時なので、出来る限り尊重したいなと思っています
勉強なんてその気になったらいつでもできる
(経験者は語る)
でも、お友達とアホみたいに遊び回れる時間は今だけ
外ひたすら駆けずり回って遊ぶとか
死にかかった虫埋めてお葬式ごっこやるとか
友達のお茶の先生をやっているおばあちゃんの家の、立派な日本庭園の、錦鯉の泳いでいる池で水浴びして、オタマジャクシ鷲掴みにするとか
よくわかんないキャラ設定してえんえんごっこ遊びするとか
親に子供だけで行っちゃだめと言われている遠くの大きい公園にこっそり遊びに行くとか
近所の家の塀に上って遊んでて、学校に通報されて校長室に呼び出されるとか
・・・・全部実体験
もっとひどいこといっぱいやってるけど、とてもここでは書けません・・・・
今やらないでいつやる。今だけでしょ!と
学校はあんまり行っていなかったけど、お友達とアホみたい遊び回ることはしっかりした私です
ちゅみこさんの実体験は面白すぎて、くだらなすぎて(注:誉め言葉です)、とても素晴らしいです。
小学生時代のこの貴重な時代をいかに小学生らしく過ごせるかは、「心のしなやかさ」に関わってくるように思います。
勉強なんていつだってできる、と私も心から思います。
「遊ぶことは子どもにとっては生活の要です。最大の権利です。」と学童の資料にありました。
子どもたちが子ども時代を子どもとしてしっかり過ごせるようにするためには、親やまわりが「子どもが子どもとして子ども時代を過ごすこと」を意識することが必要な時代になっているかもしれないと思います。大人になった時に自分を支えてくれる体験ができるように、子どもたちが実にくだらない時間(この上ない贅沢でゆったりした時間)をたっぷりと過ごせるように、大人も意識することが大切なのかもしれないと思います。
昨日のブログに、Doの居場所とBeの居場所という話を書きました。
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実にくだらない時間(この上ない贅沢でゆったりした時間)をたっぷりと過ごせるようにするために大人ができることは、子どもに「Doの時間」ではなく「Beの時間」をたっぷり与えることです。それはつまり大人は子どもに対して何も手出ししないことだと思います。環境は整える必要がありますね。例えば、カナヅチやダンボールなどもしかしたら使うかもしれないものは置いておいてもいいと思います。そうすれば、「Beの時間」の中で、子どもたちは勝手に楽しんで遊んできます。何をするのもよし、何もしないのもよし、今日も明日も明後日も、のびのび過ごせることが何より大切だろうと思います。そして、そうしてのびのび過ごした子どもたちはきっと将来「自分は幸せだ」と思う生き方を選んで生きてくれると思います。
今日も読んでいただきありがとうございます。明日も学童で聞いた心に残った言葉をご紹介します。