今日もゆるくキャンプの思い出の記録です。
日曜日に、山登りをしました。
本格的に登山をされる方からしたら「山登り」というよりは「ハイキング」かもしれませんが、私にとっては立派な「山登り」でした。
今日は山登りをしながら感じたことを描いていきたいと思います。
出だしは気楽なものでした。
しかし、登れど登れど頂上は見えず。
体力のない私は、家族から大きく引き離されてしまいます。
途中、少し明るくなっているところがあったので、「きっとあそこが頂上だ」と登ってみたのに、ただのベンチで…
ベンチの横にはさらに果てしない道が続いていました。
「あそこが終わりかな」と思うのに、ついてみたらまだ果てしなく先があることがわかる。
かなり大げさですが、
「あぁ、人生と同じだ」
と思いました。
ゴールだと思っても、全然ゴールにたどり着かない。
ただこの山登りは、かなり整備された一本道を歩けば頂上にたどり着けることが分かっている点で、人生とは違います。
人生には、選ぶ道がたくさんあって、その先には何があるのかもまったく分からない。
それが自分にとって合う道なのか、
つまり、
苦労して、仮に世間では「成功」と言われるようなものを得たとしても、それ自身が自分に合うものなのかどうかは分からない。
だれも何も保証してくれない。
もしかしたらそこにずっと立ち止まっていても、そこそこいい人生が待っているのかもしれない。だから、無理にのぼる必要はないのかもしれない。
そんなことを考えながら、登っていました。
頂上から眺めた景色はそれはそれは絶景で
あぁ、登って良かったな、と思えましたが
この景色を見なければ幸せでなかったかと言うとそうでもない気もしました。
実際、山登りをしたのは、私と夫と息子の3人でした。
私たちが山登りをしている時間、娘は山のふもとで絵を描いていました。
それはそれで良い時間だっただろうと思います。
私たちに与えられた時間は限られていて、
その中で何を選んで何をするのかは、
自分次第です。
こうでなければならないと頑張ることや
そのために受けるストレスは、
時に人を追い込んでしまうと思うので、
自らがその道を選択するのならばまだしも
まわりが追い込むのは
どのみち持続可能ではない気がします。
自分で選ぶにしても覚悟がいります。
もちろん登り始めたものの、別の道を選んでもいいわけですし、ベンチで休憩しながら登るのもありです。
ともかく一番大切なのは、壊れないこと。
しっかりと深呼吸しながら力を抜いて選択していくことが、結果的には持続的に長く「生きて」行ける術なのかな、などと大げさなことを考えながら、山を登っていました。
私自身も、もうダメだなって思うことはこれまでにもあったし、これから先もあるかもしれません。でもまぁ人生なんてそんなものだと知っておくことが大事なんだろうと思います。
今日も読んでいただきありがとうございます。あっという間に木曜日。じっくりとゆっくりと深呼吸していきましょう。