昨日も紹介した川上先生(id:hirokikawakami)のブログは、ネエサン(id:kyobachan)が長く読んでいるだけあって、とても読み応えのあるブログでした。
とても興味深いものがたくさんあったので、今日から3日間は、特に共感した記事をご紹介させていただきたいと思います。
今日紹介するのはこちらの記事です。
「○○大学を出たのに!?そんなことをやるために○○大学を出たの!?」
「え?資格とったのに、違う仕事するの!?」
「せっかく何回も頑張ってきたのに、違う仕事選んじゃうの!?」
って、
学歴や資格や努力は、将来の選択肢を広げるためだという大人が多いが、
どうなんだ?
逆にやりたいことができなくなっていくような人もいて、選択肢が狭まっているような人もいる。
途中で新しいやりたいことができたり、夢が変わることだってある。
サンクコスト(埋没費用)の考え方、大事。
今までに投下した資金や労力は、返ってこないのなら、もう、それに縛られる必要はないよ、と。縛られると、損するよ、ってことだ。
「学歴が良ければいいほど将来の選択肢が広がる」とよく言われますが、私は必ずしもそうではないと思ってきました。偏差値の高い学校に行くことが将来の選択肢を狭めてしまうこともあると感じてきました。
私自身、研究者とは別にもうひとつ夢がありました。それは「幼稚園の先生」です。小さい頃からの夢でした。
高校1年生の最後に理系と文系とを選択する時も、幼稚園の先生の夢がちらつきました。私は公立高校には落ちてしまって私立高校に入学しました。どうやら私立の入学試験の結果がよかったようで、高校入学の初日にクラスの代表委員に指名されてしまい(上位クラスに振り分けられて代表委員にも選ばれる人は、入学を決めた人の中で入試を上位一桁で合格した人らしいことをあとから知りました)、あくまでもその学校の中ではですが「できるひと」の部類で高校一年間を過ごした後の国立理系/国立文系/私立理系/私立文系の選択でした。
私の通っていた高校はスポーツコースもあり、かなり幅広い学力の子がいたので、幼稚園の先生(私立短大などに進学)という道もありましたが、国立理系/国立文系/私立理系/私立文系の選択をするときに、いまさらその選択はできませんでした・・・
そして、国立理系を選択しました。実際に現役で国立大学に合格し、大学院にもすすんで、社会人になってからはドクターもとって、今に至ります。
川上先生のブログにあるように、高校生の私に
それに縛られる必要はないよ、と。縛られると、損するよ
と積極的に言ってくれる大人が近くにいてくれたら、もっと違う選択もできたかもしれません。
うーん、でもやっぱり。。。。
仮に私が私立文系を選んでいたとしても、反対するような両親ではありません。幼稚園の先生になりたいと言ったら応援してくれたと思います。
でも、私には選択できなかった。実は、私が文理の選択をするのと同じ時期に、私の姉が私よりも何ランクか下の高校を卒業して、短大に進み、幼稚園の先生になることが決まったところでした。姉は勉強とは無縁の人で、私はここまで結構頑張って勉強してきたのに、ここから同じ道を選ぶとは…と考えてしまうと同じ道には進めませんでした。
今考えると、どうでもいいプライド?に縛られていたと思います。
でもどうしても、進学すればするほど狭くなっていく将来があるのが現実でした。
話が矛盾するようですが、幼稚園の先生になれなかった私自身が、私の歩んできた道を後悔しているかといえば、そういうわけではありません。この道を歩んできたからこそ、夫にも会えたし子どもたちも授かれたし、なにしろ、私が歩んできた道は、私自身が選択してきた道ですから、後悔はしていません。それに、転身するなら今からでも遅くないかもなとも思います。後悔のないように生きたいと思っています。
最近、夜の女子トークタイム(夜寝る前に娘とふたりで語り合う時間※)には、日常的にあった話の他にも、将来結婚したいかどうかとか、どういう人が好みだとか、どんな仕事をしたいかとか、そういう話をします。結論はなく、あれこれ話しているだけですが、いろいろ考えているんだなぁと思うと面白いです。
子どもにも、自分の道は自分で選んで欲しいです。子どもなりにいろいろ考えているようなので、自分なりに道を切り開いてくれたらと思います。
※娘とふたりで語り合う時間をとるようになった経緯はこちらにあります。相変わらず私の寝落ちか、私の「ごめんもう無理、おやすみ」という声で終了しています。
selfmanagementforkids.hatenablog.com
私の子育て修行の日々をいつも応援してくださりありがとうございます。とても励みになります。