今日は、先日読んだYさんの記事について、私自身が思うことを書きたいと思います。
とめ、はねで、一年生に0点…。一年生でなくとも、なかなかショッキングですね。我が家の娘は「とめ」「はね」でバツになってしまうことがよくあります。
私自身は、バツにすること自体を悪いことだとは思いませんが、「指導した上で子どもを正しい方向に導くこと」や、「その指導の目的は何かをはっきりさせること」に注意しないと、指導の結果、知的好奇心や向上心を削がれてしまうことにもなりかねないと思うので、今日はそのことを書きたいと思います。
言いたいことは二点です。
まず一点目は、「指摘するならば内容が子どもにきちんと伝わるように指摘した上で、子どもを正しい方向に導くことが大切」ということです。
Yさんがブログに引用されていた元記事の写真を見て、「こんな書き方では、うちの子は何を指摘されているかが分からないだろうなぁ…」と感じてしまいました。
子どもに限らず、私自身もよくわからないのですが、
- 「天」の一画目がはねているようにみえてしまうこと
- 四画目がついていないこと
が問題なのでしょうか(はっきりわからないので、間違っていたらすみません)
子どもにとっては、初めて習う字なわけなので、「正解を知らない状態」なわけで、丸を付けて指摘されるだけでは、指摘内容を「察する」ことはなかなか難しいのではないかと思ってしまいます。
「そんなの漢字ドリルを見れば分かるでしょう」と思われるかもしれませんね。
でも、例えば、アラビア語を覚えようとするときに、線の曲げ方や「つける」部分を指摘されることを想像してみてください。指摘箇所に丸を付けられるだけでは、なにをどう直せばいいのか、そもそも何を指摘されているのか、いまいちピンとこないのではないかと思います。細かい曲がり方やハネについては、正解のドリルを見てもわからないところもあるのではないかとおもってしまいます。
ですから、できれば、先生にきちんと日本語で補足を書いていただきたいです。例えば、記事にあるような「天」の指摘の場合には、
- 一画目の指摘の〇の隣に「はねない」と書き、
- 四画目の指摘の〇の隣に「つける」と書くなど、
「指摘している内容」を文字でしっかり書いていただけるといいと思います。
指摘されている内容が理解できないのであれば、「学習」はできません。
もしかしたら「授業中に言っていますから、ドリルを見て正解を確認すれば、指摘の意味を類推できるのでは」とおっしゃるかもしれません。でも、一度聞いただけでは正解を見てもなかなか分からない子どももいるのではないかと私は思います。
また、「採点が大変だからそんなの無理ですよ」とおっしゃる先生もいらっしゃると思います。それは本当にもっともだと思います。先生はやることがたくさんあって、ひとつひとつひらがなで指摘の内容を書いているような暇はないかもしれません。
でも、先生方が、妥協して丸をつけるのではなく、「とめ」「はね」を指摘してくださるのは、きっと先生たちが「子どもたちに”正しく”漢字を知ってほしい」という想いを持っていらっしゃるからでしょう。もしそうであれば、「きちんと子どもに伝わるように指摘して、次の時には正しく直せるように導いてあげること」が必要だと思います。
もちろん、お子さんによっては指摘箇所に丸をつけられるだけで察することができる子もいるのだと思います。一方で、丸を付けただけでは察することができない子どももいることも、分かっていただきたいと思います。そして、「指摘の内容が正しく子どもに伝わるように」指導していただけると、保護者としては大変ありがたいと感じます。
二点目として思うことは、「その指導は何のための指導なのか」を考えていただきたいということです。
上記の「天」の指導の目的が、たとえば「正しく漢字を習得するため」であれば、これまでに書いた通り、「子どもが正しく習得できる方法」で指摘する必要があるでしょう。
一方で、「小学校ならではのルール」は本当にたくさんあり、指導の理由がわからないこともたくさんありますよね。
特に算数に多いと思っています。
ごく一例を言うと
- かけ算は順序が決まっている(小学校では「ひとつ分の数[かけられる数]×個数[かける数]で計算しなければならない」と教えて、例えば3台の自動車がありましたタイヤは全部でいくつですかという問題があると、4×3としなければ正解にはなりません)
- 直方体の体積や台形の面積は公式の順序で書き順しないといけない(例えば、直方体だと「たて×よこ×高さ」の順に数字を書かなければ正解にはなりません)
- 筆算の線は定規で引かなければならない(これはさんざん問題になったので改定されたかもしれません)
- 小数点以下のゼロは斜め線で消さないといけない(例えば、答えが「3.0」となる場合には、0の部分を斜め線で消さなければなりません。「.0」になるなんて美しいのに消してしまうなんてもったいないと私は思ってしまいます…)
などなど。
これらは、明らかに数学的に間違っている内容もあるので、算数を教えたいわけではないだろうと私は思っています。「学習指導要綱」がこうなっているわけなので、教師のみなさんの責任ではありません。国の問題です。
この手の問題に出会った時は、我が家では、「社会に出ると自分が納得できないことや理不尽なことはたくさんあって、そもそも論理的に間違っていても従わなければならないこともある。これは、そういう”社会で納得できないことに出会った時にも従う力を学ばせるための学習”だよ」と言っています。論理的に筋が通っていなくても従わなければならない場面はたくさんあるので、これもその手のひとつと考えて、柔軟な姿勢を学ぶ題材として取り組んでいるわけです。
変な親だな、と思われるかもしれません。すみません。ただ、「今、何を学んでいるのか」を明確にして、少なくとも、好奇心・向上心をもぐようなことがないように、自宅でフォローする必要があるだろうと思っていて、「ばかばかしい」とならないために、私なりに考えられる理由を伝えているつもりです。また、社会性を伸ばすことはとても重要なことなので、この手の理不尽なことはある程度あってもいいのかもとも素直に思っています。
今日も読んでいただきありがとうございます。明日も日々の徒然について書きたいと思います。