「人が死なない防災」から学ぶこと②

昨日から、「人が死なない防災」という一冊の本に関して書いた過去のブログをリライトしています。

 

日曜日だというのに、とても重たい内容です。でも、とても大事なことだと思うので、今日もじっくり書いていきます。

 

どうかどうか「面倒くさいな」と思わずにこのブログを読んでいただいて、釜石の子どもたちから多くのことを学んでください。そして、防災について、今一度立ち止まって考えていただくきっかけにしていただければと思います。

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昨日のブログに、kotimutiko(id:kotimutiko)さんからこんなコメントをいただきました。

「人が死なない防災」から学ぶこと① - 研究職ママの子育ち日記~子どもの学び方を考える~

以前、紹介されていた時にこの本を購入し、家族と話をしました。私が感じた事全てを伝えられたかはわかりませんが、中1の娘が読書感想文の本として選んでくれました。自分の考えを持つことが大事だよと伝えています

2022/03/20 07:35

b.hatena.ne.jp

 

 

お子さんが読書感想文の本として選んでくださったとのこと。本当に素敵ですね。

 

家族で話し合う場を持てる親子関係も素晴らしいと思います。

 

教えていただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

この本は「防災」に留まらず「自分の頭で考えること」「主体的であること」がいかに重要かを考えさせてくれる一冊です。

 

勉強でも同じことですよね。

 

 

世の中にはいろいろな情報が溢れています。

 

たしかに情報は重要です。

 

でも、情報だけを信じていては、例えばハザードマップだけを信じていたら、取り返しがつかないことになってしまう。

 

 

大事なのは、情報を手に入れたその先に、自分でいかに考えて、自分に責任を持ち、自分がいかに行動するかということだと思います。

 

 

 

ぜひご自身で手にとって、ご自身の頭で考えてみてください。

新書 924円、Kindle748円です。

 

新書は昨日は残り11冊だったのに10冊になっています(*‘∀‘)

もしかしたらどなたかが「行動」して下さったのかもしれません。

本当にありがとうございます。

 

一人でも多くの方がこの本を手に取って、防災について、さらには「主体的であるとはどういうことなのか」を考えてくださると嬉しいです。

 

 

 

ーーーーー

昨日のブログに、「生きるための三つの指針」のうち

  • その一 「想定にとらわれるな」
  • その二 「最善を尽くせ」

について書きました。

 

 

 

今日は「その三 率先避難者たれ」についてご紹介します。

 

実は、人は元来「逃げることのできない」生き物です。

本の中にはこのようにあります。

「正常化の偏見」とは、「自分は大丈夫」と一生懸命思い込もうとする心の作用です。自分にとって都合の悪い情報を無視したり、 過小評価したりして、「いつもと変わらず正常である」と心の状態を保とうとする、人間の特性です。

つまり、最初に届いたリスク情報を無視するのです。

人間は、大丈夫だとは思えない事実を目の前に突き付けられるまで、そういう「正常化の偏見」の状態を続けます。

「だからな、人間っていうのは元来逃げられないんだ。みんなで「大丈夫だよな」と言いながらその場にとどまっていると、全員が死んでしまう。だから、最初に逃げるっていうのは、すごく大事なこと。だけど、これが難しいんだ。」

「だから、君は率先避難者にならなくてはならない。人間には「集団同調」という心理もあって、君が本気で逃げれば、まわりも同調して、同じように逃げはじめる。つまり、君が逃げるということは、みんなを助けることにつながるんだ。」

グラウンドに地割れが走ったのを見て、「津波が来るぞ!逃げるぞ!」と言って真っ先に逃げた釜石東中学校のサッカー部員たちは、模範的な率先避難者でした。それを見て、他の中学生も次から次へと逃げた。それを見た小学生たちも逃げた。さらに、それを見たおじいちゃん、おばあちゃんも逃げた。

こうやって、率先避難者が真っ先に行動を起こすことによって、それが波及していって、本当にギリギリのところで多くの命を救うことができたわけです。

 

 

 

私自身は、東日本大震災の日は、東京に出張していて、学会の会場で地震にあいました。はじめの揺れは普段は感じたことがない大きな揺れではありましたが、しばらく揺れると収まったので、会場にいる日本人の多くは再び講演を再開しようとしました。

 

すると、一番前に座って聴講していた外国人の方が立ち上がって振り返り、英語で大きな声でいいました。

「Are you sure? クレイジーだ!プレゼンテーションなんてしている場合じゃないだろう!?逃げるべきだ!」

そんな英語だったと思います。そして、その方は、自分の荷物をまとめはじめました。

 

そうしているうちに、すぐに次の揺れがやってきました。会場の天井から吊るされている電気が落ちてくるのではないかと思うほどに揺れ、揺れは止まらずに揺れ続けました。司会者の方が「いったん中断します。外に避難してください」とマイクでおっしゃいました。

 

私が子どもの頃から受けていた防災訓練では「地震の時は手には何も持たずに逃げるように」と教わってきました。でも「今、手ぶらで逃げてしまっては、絶対にあとから困る」と考えて、もう建物の中に戻らなくていいように、机の上の荷物をすべてまとめて外に出ました。階段を下りて外に逃げている間にも、ずっと揺れていたのを記憶しています。

 

こうして当時のことを思い出すと、いかに自分の判断が鈍かったかがよく分かり、とても恥ずかしくなります。きっと私がああしてもたもたしている間にも、釜石の子どもたちは必死で走っていたと思います。

 

あの時の外国人の方は、私の周りにいてくれた「率先避難者」でした。私は彼に感謝しなければなりません。

 

日本には本当によく地震が来ます。だから、「また地震か、でもこれまでも大丈夫だったから大丈夫」などと考えてしまうことがあります。でも、それではいけないということです。逃げて、何ごともなければそれでいい。「正常化の偏見」を乗り越えて「率先避難者」になることは簡単ではありません。しかし、そこを乗り越えなければならない。自分の命を守れるのは、自分の判断力と行動力だけだからです。そのためにはまず、自然に対する畏敬の念を持ち、謙虚になるところからだろうと思います。

 

 

ーーー

 

皆さんは、災害が起きた時の「家族の待ち合わせ場所」を決めていらっしゃるでしょうか?

 

ここから先は「災害時の待ち合わせ場所はあえて決めないほうが良い」という話を書いていきます。

 

想定や約束がかえって被害を大きくしてしまう場合がある、という内容です。家族との絆が強ければ強いほど、被害を大きくなってしまうことがあるというのです。

 

 

 

災害が起きた時の家族の行動についてシミュレーションをしておくことはとても大切なことです。子どもが登校中に地震にあったらどうするか、学校にいるときに地震にあったらどうするか、自宅にいるときに地震にあったらどうするか。地震でなく、竜巻や大雨や台風などの時はどうするか。これらのさまざまな自然災害について子どもと一緒に想像して、家族で話し合うことは、いざというときの子どもの行動の指針となるので、とても大切なことだと思います。しかしその一方で、「想定にとらわれすぎてしまうような約束」によって、かえって被害を大きくしてしまうことがあるというのです。

 

釜石では、もともと決められていた避難場所だった「ございしょの里」にも津波がきました。

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もし、あなたがお子さんと「もしも何か災害がおきたら自宅で待ち合わせしよう」約束していたとします。しかし、万が一、その自宅を危険な状態が襲ったらどうなるでしょうか。「うちは新しいから大丈夫」と思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、何か災害が起きた時に「ここだけは絶対に安全」とあらかじめ確約できる場所なんて、どこにもないと思います。

 

本にはこのようにあります。

東北地方には「津波てんでんこ」という言葉が残っています。

津波のときには、てんでばらばらに逃げろ」ということです。老いも若きも、男も女も、他人を構わず、一人ひとり逃げなさい、ということです。

 

このような言葉を先人が語り伝えたのは、そうしなくてはならない理由があるのです。それは、「家族の絆がかえって被害を大きくする」という、つらく悲しい歴史を繰り返してきたからです。子どもが親のもとまで行って、両方とも死んでしまう。お母さんが子どもを迎えに行って、両方とも死んでしまう。一家滅亡、地域滅亡という悲劇ばかりを繰り返してきた。そういう中でできた言い伝えが、「津波てんでんこ」なのです。

一人ひとりが自分の命に自分の命に責任をもつということについて、家族がお互いを信頼し合おう、ということです。「お母さんはちゃんと逃げているだろう。だから、僕もちゃんと逃げる。そうすれば、後で迎えに来てくれるはずだ」と思えるからこそ、子どもたちは一生懸命逃げようという気持ちになれるわけです。

お母さんの立場で考えれば、わが子の安否を確認せずに逃げるなんて、そうたやすくできることではありません。でも、「うちの子は絶対に逃げているはずだ」という信頼があれば、とにかく自分も逃げて、あとで必ず迎えに行こう、という気持ちになれるはずです。

実際に、震災後、釜石の町でたくさんのお母さん方と話をしました。

「お母さん、逃げました?」

「えぇ、逃げましたよ。子どもは学校にいましたからね。ウチの子は、絶対に逃げますもの。逃げるなって言ったって逃げますよ」

そんな声を聞くと、「ああ、よかったな」と思います。「津波てんでんこ」という先人の残してくれた教訓を、しっかり実践してくれた家庭が確実にあったということです。

 

津波でなくとも同じ話だと思います。子どもがお父さんやお母さんを探したり、両親との約束を守ろうとする過程で、例えばブロック塀が倒れてくるなどの被害にあってしまったら、親は後悔してもしきれないと思います。ですから、待ち合わせ場所のような約束はせずに、「とにかく自分がいる場所で最善と思える場所に自分の判断で逃げること」を子どもに伝えて、いろんなバリエーションについて親子で話し合っておくことの方が、大災害の時には有効なように思います。

 

 

私の娘の学校では、年に一度引き取り訓練があります。引き取り訓練はあくまでも「訓練」なので、学童の指導員さんに代わりに引き取りをお願いすることもできますが、私はこの日だけは必ず仕事を休んで参加することにしています。毎回、校長先生が放送で「これから自宅に帰りながら、地震が来たら危ない場所を親子で確認してください。家族で待ち合わせする場所も親子で決めておいてください。」とおっしゃるので、災害が起きた時のことを話し合いながら帰ります。

 

話し合う時には、できるだけ強い想定や約束はせず、あらゆる選択肢を残すように意識するようにしています。

 

子どもにとって、特に小学校低学年ぐらいまでのお子さんにとっての親の存在はとても大きいものです。ですから、親がどんな風に子どもに声をかけているかは、いざというときのお子さんの行動に大きく影響してきます。

 

 

我が家では、「とにかく自分の命を守ることが最優先。その時々でどんな状況かは母さんにも分からないし、自分で考えてしっかり逃げて」という話を、何か機会があるごとに伝えています。

 

もちろん可能な範囲で具体的な想定もたくさんします。

落ち着いた状況で具体的にあらゆる想定することは、いざというときに「行動」する上での指針となるからです。ただ、あくまでもそれは「ファイナルアンサー」ではないということも、合わせて子どもに伝える必要があります。

 

例えば「家はそこそこ安全だと思うから、家が大丈夫そうなら家にいればいいけど、家にもし何か起きたらその場合は他に逃げること。ドアが開かなければ、窓を割ってもいい。今の校舎なら学校も大丈夫じゃないかなと思う。学校のそばで災害にあったら自宅まで行かずに学校に戻るといいかも。公園で災害にあった時に広場が安全そうなら広場に留まる。でもなんにせよ、母さんにはその時の状況はわからない。その時その時で自分が一番いいと思う自分の一番近い場所に逃げて。」といった具合で、想像はするものの、あらゆる選択肢を残した形で話をします。

 

待ち合わせ場所については、「一応自宅」とはなっていますが、「約束」はしていません。「例えば公園の広場に避難していたら、そのまままわりの大人に連れられて◯◯中学に連れて行かれるかもしれない。あそこがここら辺の避難所だから。もし広場から避難所にうつることになったら避難所に行けばいいよ。家には帰ってこなくていいから、自分で考えながらまわりの大人に従って。母さんは、あなたがどこにいても必ずあなたを探しに行くから。」と言ってあります。

 

この約束をしたのは、娘が小学一年生になった時です。保育園の頃は、保育園の先生と離れて一人になることはないので、このような約束をする必要はありませんでした。でも、小学生になるとひとりで動くことが出てきます。一人でいるときに何かが起きたら、自分で考えられる最善を尽くすこと、そして最善だと思う場所で動かず待つこと、動かず待っていれば私は必ず迎えに行くこと、を娘には伝えてあります。

 

 

あなたがどこにいても、私は必ず迎えに行く。

だから、そこで待っていなさい。

 

 

釜石の震災の後の、お母さまの声は、親子の強い絆と強い信頼関係を表しています。

実際に、震災後、釜石の町でたくさんのお母さん方と話をしました。

「お母さん、逃げました?」

「えぇ、逃げましたよ。子どもは学校にいましたからね。ウチの子は、絶対に逃げますもの。逃げるなって言ったって逃げますよ」

そんな声を聞くと、「ああ、よかったな」と思います。「津波てんでんこ」という先人の残してくれた教訓を、しっかり実践してくれた家庭が確実にあったということです。

 

 

強い信頼関係があるからこそ、それぞれがそれぞれの場所で、自分の頭で考えて行動できる。

 

 

勉強でもスポーツでも、自分の力で考えて行動するからこそ、踏ん張れるし頑張れる部分があるだろうと思います。

 

導きすぎると、それに頼って子どもは主体的でなくなってしまう。だからこそ、あらゆる選択肢を残しながら、自分で考えられる機会を与えるところまでが親の役目だと思います。

親は、そのきっかけや指針だけを与えるように心がける必要があると、私は思います。

 

 

 

 

冒頭で書いた「災害時の待ち合わせ場所を決めてはいけない」というのはちょっと言いすぎかもしれません。でも、家族の絆が強いばかりに、約束を守ろうとしてかえって被害が大きくなってしまうようなことになれば、それはとても悲しいことだと思います。

 

ですから「その時々で状況は違うから、状況に合わせて自分で判断して。とにかく命を守ることが最優先だよ」「お父さん/お母さんは、必ずあなたを探して迎えに行くから安心してその場で待っててね」と伝えることがとても大切だと思います。

 

 

 

子どもが大きくなってくると、一人で電車に乗って遠くに出かけていくことも増えていきます。

 

 

三連休の中日の今日は、娘はお昼ご飯を食べ終わったら、友達と電車に乗って出かけるのだそうです。

 

 

決して考えたくないことですが、遠く離れた場所で災害に会うこともあるでしょう。

 

 

でも、どんなことがあっても生きてさえいればかならず会える

 

 

そのことを定期的に家族で確認をしておくことが大切だと思っています。

 

 

 

 

昨日と今日のブログの中には、本に書いてある内容を多く引用させていただきました。先生自身がひとりでも多くの命を救いたいと考えていらっしゃる方なので、一人でも多くの方に知っていただくため、あえてブログに本の内容を書かせていただいた面もあります。ただ、先生の大事な著作物ですし、ブログでご紹介しきれない大事なことが本の中には多く書かれているので、ぜひご自身で本を手に取って読んでください。

 

残り10点(昨日から1冊減りました!)。924円です。

 

Kindle版は748円で読むことができます。

 

 

もし昨日のブログをまだ読んでいない方がいらしたら、ぜひ読んでいただきたいです。釜石の子どもたちの素晴らしい姿から、多くのことを考えさせられます。

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最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。よい休日をお過ごしください。

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