ここ数日は、「人が死なない防災」という本のご紹介をしています。
実は、今日書く内容が、私がみなさんに一番伝えたいことです。
皆さんは、災害が起きた時の「家族の待ち合わせ場所」を決めていらっしゃるでしょうか?
今日の話は、想定や約束がかえって被害を大きくしてしまう場合がある、という内容です。家族との絆が強ければ強いほど、被害を大きくなってしまうことがあるというのです。
災害が起きた時の家族の行動についてシミュレーションをしておくことはとても大切なことです。子どもが登校中に地震にあったらどうするか、学校にいるときに地震にあったらどうするか、自宅にいるときに地震にあったらどうするか。地震でなく、竜巻や大雨や台風などの時はどうするか。これらのさまざまな自然災害について子どもと一緒に想像して、家族で話し合うことは、いざというときの子どもの行動の指針となるので、とても大切なことだと思います。しかしその一方で、「想定にとらわれすぎてしまうような約束」によって、かえって被害を大きくしてしまうことがあるというのです。
釜石では、もともと決められていた避難場所だった「ございしょの里」にも津波がきました。
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もし、あなたがお子さんと「もしも何か災害がおきたら自宅で待ち合わせしよう」と約束していたとします。しかし、万が一、その自宅を危険な状態が襲ったらどうなるでしょうか。「うちは新しいから大丈夫」と思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、何か災害が起きた時に「ここだけは絶対に安全」とあらかじめ確約できる場所なんて、どこにもないと思います。
本にはこのようにあります。
東北地方には「津波てんでんこ」という言葉が残っています。
「津波のときには、てんでばらばらに逃げろ」ということです。老いも若きも、男も女も、他人を構わず、一人ひとり逃げなさい、ということです。
このような言葉を先人が語り伝えたのは、そうしなくてはならない理由があるのです。それは、「家族の絆がかえって被害を大きくする」という、つらく悲しい歴史を繰り返してきたからです。子どもが親のもとまで行って、両方とも死んでしまう。お母さんが子どもを迎えに行って、両方とも死んでしまう。一家滅亡、地域滅亡という悲劇ばかりを繰り返してきた。そういう中でできた言い伝えが、「津波てんでんこ」なのです。
一人ひとりが自分の命に自分の命に責任をもつということについて、家族がお互いを信頼し合おう、ということです。「お母さんはちゃんと逃げているだろう。だから、僕もちゃんと逃げる。そうすれば、後で迎えに来てくれるはずだ」と思えるからこそ、子どもたちは一生懸命逃げようという気持ちになれるわけです。
お母さんの立場で考えれば、わが子の安否を確認せずに逃げるなんて、そうたやすくできることではありません。でも、「うちの子は絶対に逃げているはずだ」という信頼があれば、とにかく自分も逃げて、あとで必ず迎えに行こう、という気持ちになれるはずです。
実際に、震災後、釜石の町でたくさんのお母さん方と話をしました。
「お母さん、逃げました?」
「えぇ、逃げましたよ。子どもは学校にいましたからね。ウチの子は、絶対に逃げますもの。逃げるなって言ったって逃げますよ」
そんな声を聞くと、「ああ、よかったな」と思います。「津波てんでんこ」という先人の残してくれた教訓を、しっかり実践してくれた家庭が確実にあったということです。
津波でなくとも同じ話だと思います。子どもがお父さんやお母さんを探したり、両親との約束を守ろうとする過程で、例えばブロック塀が倒れてくるなどの被害にあってしまったら、親は後悔してもしきれないと思います。ですから、待ち合わせ場所のような約束はせずに、「とにかく自分がいる場所で最善と思える場所に自分の判断で逃げること」を子どもに伝えて、いろんなバリエーションについて親子で話し合っておくことの方が、大災害の時には有効なように思います。
私の娘の学校では、年に一度引き取り訓練があります。学童に行っているので学童の指導員さんに代わりに引き取りをお願いすることもできますが、私はこの日だけは必ず仕事を休んで参加することにしています。毎回、校長先生が放送で「これから自宅に帰りながら、地震が来たら危ない場所を親子で確認してください。家族で待ち合わせする場所も親子で決めておいてください。」とおっしゃるので、災害が起きた時のことを話し合いながら帰ります。
話し合う時には、できるだけ強い想定や約束はせず、あらゆる選択肢を残すように意識するようにしています。
「とにかく自分の命を守ることが最優先。その時々でどんな状況かは母さんにも分からないし、自分で考えてしっかり逃げて」という話は何か機会があるごとに伝えています。
もちろん可能な範囲で具体的な想定もたくさんします。例えば「家はそこそこ安全だと思うから、家が大丈夫そうなら家にいればいいけど、家にもし何か起きたらその場合は他に逃げること。ドアが開かなければ、窓を割ってもいい。今の校舎なら学校も大丈夫じゃないかなと思う。学校のそばで災害にあったら自宅まで行かずに学校に戻るといいかも。公園で災害にあった時に広場が安全そうなら広場に留まる。でもなんにせよ、母さんにはその時の状況はわからない。その時その時で自分が一番いいと思う自分の一番近い場所に逃げて。」といった具合で、想像はするものの、あらゆる選択肢を残した形で話をします。
待ち合わせ場所については、「一応自宅」とはなっていますが、「約束」はしていません。「例えば公園の広場に避難していたら、そのまままわりの大人に連れられて◯◯中学に連れて行かれるかもしれない。あそこがここら辺の避難所だから。もし広場から避難所にうつることになったら避難所に行けばいいよ。家には帰ってこなくていいから、自分で考えながらまわりの大人に従って。母さんは、あなたがどこにいても必ずあなたを探しに行くから。」と言ってあります。
この約束をしたのは、娘が一年生になった時です。保育園の頃は、保育園の先生と離れて一人になることはないので、このような約束をする必要はありませんでした。でも、小学生になるとひとりで動くことが出てきます。一人でいるときに何かが起きたら、自分で考えられる最善を尽くすこと、そして最善だと思う場所で動かず待つこと、動かず待っていれば私は必ず迎えに行くこと、を娘には伝えてあります。
タイトルの「災害時の待ち合わせ場所を決めてはいけない」はちょっと言いすぎかもしれません。でも、家族の絆が強いばかりに、約束を守ろうとしてかえって被害が大きくなってしまうようなことになれば、それはとても悲しいことだと思います。
今日のブログは何度も同じことを書いてしまっていますが「その時々で状況は違うから、状況に合わせて自分で判断して。とにかく命を守ることが最優先だよ」「お父さん/お母さんは、必ずあなたを探して迎えに行くから安心して待っててね」と伝えることがとても大切だと思います。
今日も読んでいただきありがとうございます。自分で学べる子、自分で考えられる子を増やしたいという想いでブログをはじめました。できるだけ多くの方の目に留まるといいなぁと思ってランキングに参加しています。応援していただけると嬉しいです。