今日の話は、少し前の息子との会話で感じた「あたりまえのことに疑問を持つことの大切さ」についてです。
平日の夕食後、リビングで私と娘と息子とで思い思いにくつろいでいた時間の息子との会話です。
ちなみにこの時、息子はひとりでYoutubeを見ていました。息子は魚が泳ぐ映像を見るのが好きで、この時も息子は魚が泳いでいる動画を見ていました。Youtubeをいったん止めて、息子が私に話しかけてきました。
息子「ねぇ、なんで人って息するの?」
私「息しないと生きていけないからだよ」
息子「なんで息しないと生きていけないの?」
私「生きるのに空気が必要なのよ。空気の中には酸素っていうのがあって、息をすると酸素が体に入ってくるの。人が元気に体を動かすのに酸素が必要だから、人は息をするの」
娘「(息子の名前)も、六年生になったら習うよ」
娘が間から口をはさみましたが、息子は会話を止めません。
息子「じゃ、人が息をしたら、空気がへっちゃうじゃん」
”あぁ、なるほど、本当に息子が聞きたかったのは息をしたら空気が減るかどうかだったのか”と思いました。家事の手を止めて息子のそばに行きました。そして、息子の両手をとって、息子の口の前に息子の手を持って行きました。
私「いっぱい息を吸ってごらん」
息子「(大きく息を吸う)」
私「思いきり息を吐いて」
息子「(大きく息を吐く)」
私「吸って~」
息子「(大きく息を吸う)」
私「はいて~」
息子「(大きく息を吐く)」
息子の両手を取って息子の口の前に息子の手を持って行っていたので、息子の手を支えている私の手にも息子の息がかかります。
私「ほら、吸ったら空気が体に入るけど、吐くと空気は出てくるでしょ。だから空気は減らないよ」
息子「(嬉しそうな笑顔で)へぇ!」
私「でも、正確には、吐く空気の中の酸素は減っちゃってる。人が酸素を体の中に取り込んじゃうからね」
娘「酸素は、吸う空気だと〇%で、吐く空気になると〇%になるんだよ(教科書に載っていることを言ったんだと思います。何と言っていたか、数字は忘れました。私はもはや呼気の酸素の割合なんて覚えていませんf^_^;)」
息子「じゃあ、やっぱり空気は減ってるってこと?」
私「人が息をするだけだと酸素は減るけど、実は、木とか草とかが酸素を作ってくれるの。太陽の光と植物のおかげで、酸素が作られるから、人が息をしても地球の酸素は減らない」
※地球の酸素が減らないなど正確ではないかもしれませんが細かい点はご容赦ください
息子「へぇ!」
私「だから、植物は大切なんだよね」
息子「なるほどねぇ!ねぇ、魚はエラで呼吸するでしょ?海水を体に取り込んでる?」
私「多分そうだね」
息子「じゃ、海の水は減っていく?」
私「空気と一緒でしょ。魚は海水を体に取り込んでも、また体から出しているよ」
息子「じゃ、魚がいっぱい息しても海の水は減らない?」
私「減らないと思うよ」
息子「よかったー。さんきゅー」
そういって、またYoutubeの動画に戻りました。魚がゆうゆうと泳いでいる動画でした。なんだか知りませんがとても楽しそうに見ています(何が楽しいのか私には理解不能です)
魚が泳ぐ様子を見ていて(エラで呼吸する動画もあったのかも?)、
魚が息をすると海水が減るのだろうか?
人も息をすると空気が減ってしまうのでは?
と息子は疑問を持ったようでした。
こういう小さいことひとつひとつに気づいて疑問を持つことは、とても大切なことだと思います。子どもに「なぜ、なぜ」期があるように、小さい時は自然とできる力だと思いますが、大きくなっていくとどうしてもこの力が弱くなっていってしまいます。教科書などから入る知識が邪魔してしまって疑問を持つ力が弱くなってしまうのかもしれません。
息子とのこの会話で、こういう一見あたりまえのことに疑問を持つことの大切さをあらためて感じました。
今日も読んでいただきありがとうございます。明日は、息子とのこの会話の後日談について書きたいと思います。