今日は「立ち止まって考えることの大切さ」について書きたいと思います。
以前にも書いたことがありますが、日本の受験戦争の中にいる、今の日本の小学生や中学生や高校生は本当に可哀そうだなと思うことがあります。なぜならなんだか「とても忙しそう」だからです。そういう受験を乗り越えなければ開ける世界がないのもまた事実で、なかなか難しいことはわかっていますが、なんだかとても大事なことをすっ飛ばしてしまっているようにも見えて、個人的にはこのままでは日本が危ういとすら感じるほどです。
人生は楽しい、大人になるって楽しい、そんなワクワクの中で
「自分を自分の思い通りに動かしながらどんどん成長していく子ども」
を育てたい。
これは、私がブログを始めた理由でもあり、仕事の傍ら細々と「自分でみるみる勉強できるようになる小中学生のための時間活用術講座」を始めた理由でもあります。
(「自分でみるみる勉強できるようになる小中学生のための時間活用術講座」はまだ友人やその友人にしか開講していないので、生徒数はまだ8人ですけど・笑)
selfmanagementforkids.hatenablog.com
selfmanagementforkids.hatenablog.com
「自分を自分の思い通りに動かしながらどんどん成長していく子ども」
「自分を自分の思い通りに動かす力」とは「セルフマネジメント力」 なわけですが、セルフマネジメントをするためには「自分で考えて自分で決める力」が必要となります。
子どもたちの人生には(子どもに限らず私たちの人生には)、選択しなければならないことがあふれています。日々の行動に対する小さな選択から、人生を大きく左右する大きな選択まで、粒度はさまざまですが、そのたびに考えて自分なりに選択することが求められます。そして、その選択は決して簡単ではありません。
大切な一度の人生。人生の岐路に立った時に、自分で考えて自分で選択できるように、日常的に「立ち止まって考える訓練」をしていくことが大切だと考えています。日常的に取り組んでいるのはどうでもいいとも思えてしまうような小さな小さな考える訓練ですが、そういう小さな訓練の積み重ねが、いつか自分自身の人生の選択をしていくときに役立つと信じています。
「立ち止まって考える訓練」についての我が家の取り組み例
普段から人生の岐路に立たされているわけではないので、「立ち止まって考える訓練」に使う題材は本当にささいなことです。立ち止まって考える題材は、なんでもいいと思います。そもそも、わざわざ題材を用意するような話ではなく、生活の中でふと沸いたテーマを題材にすること自体が意味があるとも思っています。考えることって大切だなというのを日常生活の中で学んでいけるからです。これまでブログに書いてきたことから、ふたつ取り組み例をご紹介しますね。(すでに過去の記事を読んでいる方は読み飛ばしてください)
立ち止まって考える例①:山口のガードレールの話
年末年始の山口旅行で、山口のガードレールはなぜ黄色なのかを考えた先に、みかんの産地についての発見があった話です。
selfmanagementforkids.hatenablog.com
selfmanagementforkids.hatenablog.com
立ち止まって考える例②:硬貨の話
昨日まで書いていた硬貨の年号に漢数字と算用数字があることに気づいたことから、硬貨のあれこれについて調べた話です。
selfmanagementforkids.hatenablog.com
selfmanagementforkids.hatenablog.com
selfmanagementforkids.hatenablog.com
「立ち止まって考える訓練」のために必要なこと
立ち止まって考える訓練をするために必要なことは、ただひとつ。
「日常的に疑問が出てきたとき、自分で考える時間を取るために、安易にインターネットを使わない」ことです。
これさえ守れば、自分なりに考える時間をつくることができます。そして、それを親子で話し合えば「自分の考えを言葉にする訓練」もできます。
上にあげた実例でも、インターネットをあえてすぐには使わないことで、自分なりの考えを持つ練習をしています。
自分なりに考える訓練をする前に、身近なことに疑問を持つ訓練も必要?
自分なりに考える訓練をするまえに、題材探しが必要ですが、題材は別になんでもいいので、実はこれはそんなに難しいことではありません。
硬貨の話の時に、子どもとこんな会話がありました。(造幣局のホームページをふたりで読んでいた時の会話です)
私「5円とか50円に穴開けてる理由のひとつは材料をセーブするためだって。知らなかった。」
子「じゃ、なんで、100円とか500円は穴が開いてないの?材料セーブしたいなら、全部あければいいじゃん」
私「硬貨を区別つける目的もあるからでしょ。目が見てない人とか、自分たちも暗がりでお金わかんないといけない時とかあるから、区別しやすいようにしないといけないから」
子「穴の形を変えればいいだけじゃん」
私「まぁ、たしかに」
子「なんで全部穴あけないんだろうね」
私「なんでだと思う?」
子「うーん、100円とか500円はもともとの材料が安いとか?」
私「穴開けること自体も結構コストなのかなー。機械稼働させるにも電力が必要だし?」
子「えー」
私「わかんないや」
「なぜすべての硬貨に穴が開いていないのか?」
これは、硬貨について調べる中で子どもがあらたに出した疑問です。(このほかに、昨日のブログに書いた「②50円、100円、500円の側面のギザギザは何のためについているのか」「③10円にはなぜギザギザがついているものとついていないものがあるのか」も、硬貨を観察していた時に子どもが出してきた疑問です)
経験的に、子どもの方が、素直にいろんなことに疑問を持ちます。大人は(少なくとも私は)もう頭が固いので、なんだかいろんなことを「あたりまえ」と思ってしまいがちなのですが、子どもはどんどん新たな疑問を投げかけてきます。
この会話が、いつもとても楽しいです。
そんな会話を楽しみながら、いろんな題材について話し合うといいと思います。(ちなみに「なぜすべての硬貨に穴が開いていないのか」は造幣局のページには答えはありませんでした。得意の「デザイン」ですかね・笑)
今日も長くなってしまいました。
中学生、高校生になると22時ごろまで塾で過ごすような話をよく聞きます。我が家もそんな生活を送る日がくるのか、今はあまり想像がつきません。でもいずれにしてもいくつになっても、立ち止まって考えて一緒に議論できる時間を持ちながら、自分で考えることが出来る子どもを育てていきたいと思います。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。